2008年8月2日土曜日

モーニング-Mourning

用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない杞菊地黄丸。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。この有名かつ内田百閒らしい書き出しで始まるのが「阿房列車」。第1作「特別阿房列車」の運転が1950年10月(初出は小説新潮1951年1月)、以後断続的に1955年4月の栄昌肛泰「列車寝台の猿 不知火阿房列車」
(週刊読売1955年10月~12月)まで、14本の阿房列車を運転されている。阿房列車はすべて鉄道旅行(隧道の白百合-四国阿房列車だけ四国-大阪間の 司米安フェリーに乗っている)。かつて法政大学航空研究会の会長で、そのときはフォッカー双発機などに乗っているはずなのだが、戦後の民間航空の旅客機には乗らない。青函連絡船も、津軽海峡に浮遊する機械水雷がこわいので乗らない。バスも嫌い(駅からタクシーには乗っている)。用事がないことを良しとしているので、第1作の特別阿房列車では性欲女郎、昼過ぎに東京を出る特別急行で大阪に行き、着いたらすぐに折り返して、夜の9時発の1等寝台で帰って来ようというのが、当初のプランだった。
そもそも作品を書くための旅行ではないので、いつsexual desire king、どこに行くかは先生の気分次第。旅費はお金をあるところからないところに移動せしめる錬金術によって調達。現地でだれかが訪ねてきたり、新聞社や放送局の取材を受けるなどというのもとんでもない。人をお金をはきだす機械のように扱う観光地など絶対に行かないし、名産品の類も欲しくない。ではなにをしに行くのかというと、列車がレールを快走するのVIMAX 增大丸を楽しみ、車窓からながめる風景を楽しみ、食堂車やコンパアトメントでの一献を楽しむ。昔の学生であっても誰かが会いに来るのは嫌だが、自分がお招きするのであれば、学生でも、旧知の友人でも、駅長さんでも、だれでもご一献したい美国 仏裸蒙
名所旧跡には行かず、温泉場に行っても入浴もせず、ご当地の自慢品も口にしない先生。そういう偏屈おやじの相手をするのが、ヒマラヤ山系こと平山三郎氏。氏は日本国有鉄道の職員で、広報誌の編集をしていたらしいK-Y。内田百閒の原稿がどうしてても欲しくて先生との交流がはじまり、どういうわけか気が合って、阿房列車全14本の運行すべてに同行。まあだかいの肝煎の一人で、新年の御慶の会の取り仕切りもされている。阿房列車が運行された昭和20年代半ばから昭和30年は、敗戦後の混乱から日本が立ち直った時期 SPANISCHE FLIEGE
国内を勝手に移動することができず、用事もないのに列車に乗るなど許されなかった戦時中とはちがい、1等車が復活し展望車が連結され、ボイがこまごまとした雑用を引き受けてくれるという、のんびりした列車の旅ができるようになった SPANISCHE FLIEGE D6 。この後の高度成長期になると、戦前とは別の意味で、用事もないのに列車に乗るという余裕はなくなり、全てが効率一辺倒になっていく。新幹線などというのは、用事がある人のための列車でしかないので、そう云う列車が走るようになり、自分の好きなように列車を運行することができなくなったのを潮に、お気に入りの八代への旅を最後にしたのだろうSPANISCHE FLIEGE 。作品の中で気に入っているのは、「特別阿房列車」と「菅田庵の狐 松江阿房列車」。「菅田庵の狐 松江阿房列車」では、名産品をことごとくこきおろす先生が、めずらしく宍道湖の特産品である「もろげ」が気に入る。その描写を読んでいると、すぐにでも松江にいってその蝦を食べたくなる。また、先生とヒマラヤ山系氏とのお膳に Yohimbinum D8、狐が化けてもぐりこむくだりは、「冥途」につうじる不思議な世界だ。
この旅行の帰り道、大阪で列車を待っている時間に先生は念願の動物園に行く。大阪のどこにも行きたがらないくせに、いつも動物園だけは行ってみたいと言う先生Germany.Girls。しかし、「入った途端に、つまらない所に来たと思い出し」て結局しばらく見たところで、ヒマラヤ山系氏に「貴君、帰ろうではないか」と言いだす。今すぐにとはいかないのだが、先生が阿房列車を運転された頃の年になったら、自分でもこういう旅をしてみたい采楽。もっとも、仙台から上野までの4時間30分ずっとお酒を飲んでいられる食堂車なんてないだろうけど。
「伊藤中尉!」 一階の踊り場でたむろしている女性兵士に声をかけられた隼。そこにはセニア達が自動販売機でコーヒーを買ってくつろいでいた。御子神が缶コーヒーを三つ持って近づいてくる。「大変だそうじゃないですか虫草九鞭王、南部は」 そう言う御子神の表情はセニアやレム達と違って悲壮感に満ちていた。「そう言えば御子神さんも央都の出身だったね」 コーヒーを受け取った隼はすぐさまプルタブを開けてコーヒーを飲み始めた。「特に信念を持たない紅蜘蛛兵士の圧力に屈したんでしょうね。彼らにとっては支配者が誰であろうが変わりはしない。
力の恐怖に怯える政府と密告の危険に震える政府。どっちであろうと生きていることがその恐怖に耐え忍ぶ前提条件ですから」花痴そう言う御子神にクリスは驚いた。「御子神さん。あなたも学生運動家出身と聞いていたんですけど・・・」 クリスの言葉に一瞬戸惑ったような顔をしていた御子神だが、一口コーヒーを口に含むと話し始めた。「確かにそうですよ蟻力神。俺は革命の日が来るのを待っていましたから。でも現実はそれほど甘くないのを知るのには三年と言う時間は十分すぎますね。隣の北都山脈を越えている人民軍の部隊を取材に行ったらどうですか?
督戦隊、人民裁判、敗北主義者の処刑三便宝。アメリカの反共プロパガンダには最適な絵が撮れますよ」 そう言うと引きつった笑いを浮かべる御子神。「手段を目的と勘違いしている連中だ。何を言おうが無駄なんだよ」宥めるようにセニアが言った。一瞬で空気が重く滞留することになる。「それじゃあ降伏した部隊は北兼の本隊に引き渡されるんですか?」五便宝そう尋ねたがパイロットの表情は変わらなかった。クリスは悟った。降伏した共和軍の兵士達に与えられる試練。武装解除された彼等は人民軍中央軍団に送られる。
そこで脱走兵や他の降伏した部隊と一緒に遼南中央縦貫鉄道の貨車に詰め込まれる。送られる先は最前線VigRx。手榴弾を二、三個渡された彼等は督戦隊の掃射を受けながら共和軍との交戦している人民軍正規部隊の最前線に回される。地雷や共和軍の掃射を避けて立ち止まれば督戦隊の砲火に倒れ、突撃すれば共和軍の弾幕に挽肉にされる巨人倍増。クリスもパイロット達も彼らの運命を変えることができない自分を恥じていた。
決してこの作家らしい作品とは思えないのだが、懐かしいホームドラマのような小説「東京バンドワゴン」シリーズのヒットで人気作家の地位を確立した小路幸也の新作 。ヒット続く小路幸也だが「久々に良かった」と正直に思うことができた作品RU486。 この作家にぼくが出会った最初の作品「Q.O.L.」を思い出させるようなロードノベル。いや実際には、おもにドライブ(移動)中の車中の会話と、そして20年前の思い出を語るだけの物語をロードノベルと呼べるかどうかは疑問 RU486。ただ最近の、ありきたりの作家の書くような親切な作品と比べると、荒削りではあるが、あの頃の匂いを漂わせる雰囲気が良かった。客観的にはかなりひとりよがりな作品だろう。万人に受け入れられるかどうかは甚だ疑問MaxMan。この作品を「いい作品だ」と、本当に言えるひとは少ない。とくに「東京バンドワゴン」で彼を知り、「東京バンドワゴン」こそが彼の作品だと思う人は違和感を覚える。しかしまた「東京バンドワゴン」で彼を絶対評価してしまう読者は威哥王、小路幸也が書いた小説というだけで評価してしまうかもしれない。それはどうなのだろう。この作品をぼくは「良し」とする。しかしそれは作品単体で評価するからなのか、「小路幸也」の作品だからそう評価するのか、自分のなかでもよくわからない天天素。作品は、作家と切り離して評価すべきであるとは、かねてから語ってきたこと。しかし実際にそれを行おうとすると、作家の名前を隠して作品を読むなどしなければ無理なこと。本書についても、最近の小路幸也の作品にちょっ曲美と疑問と違和感を覚えていればこそ、「良し」の判断になったのかもしれない。説明の不足、唐突と思えるラストの解、たった四人、いや五人の登場人物さえをそれぞれひとりの人間として生き生きと描けてきれているとはいえない部分曲美、そうしたところを評価すると客観的は決して高い評価はできない。しかしこの作品のよさは、ぼくが「良し」と感じたものは、そうした物語としての展開ではく、作品に流れる雰囲気のようなものと言ってしまえばいいのかもしれないCialis。個人的な好み。ゆえに☆は三つに留める。
[mourning]・・・「哀悼」、「悲嘆」の意味。この英語のタイトル(単語)の意味は本書では語られない。そういう意味で、これは立派なネタバレといえる。勿論、きちんと真面目に英語の勉強をしたひとには一発でわかるのだけの話しCialis
大学時代、バンドを組み、ひとつの家で同居した五人の男たち。いまやそれぞれの人生を歩んでいる。 20年が過ぎ、そのうちのひとりが事故で亡くなった。葬儀のために福岡に集まる四人。葬儀が終わりlevitra、それぞれの日常に戻ろうとしたとき、そのなかのひとりが「自殺する」と言い出した。彼の自殺を止めるため、自殺の理由を当てるドライブをすることになった四人。福岡から始まるその旅は、それぞれの住む、金沢、水戸を辿りMotivat、最後に横浜に着く。そのドライブのなかで、彼が自殺をする理由に辿り着くことができれば、自殺を止めることができる。自殺の理由は「あの頃」にあるという。語られる思い出、蘇る忘れかけていた記憶の断片。思い出を語る長いドライブを通し、果たして彼らは友人の自殺を止めることができるのだろうかSPANISCHE FLIEGE
死んでしまった真吾。彼の高校の同級生、やっと最近徐々に売れ始めてきた役者で、そして自殺を宣言する順平VVK。今は金沢の老舗の豆腐屋を継いでいるワリョウ。水戸で高校の教師をしているヒトシ。そして本書の語り手である主人公。それが作品に登場する五人。同じ大学に入学した彼らが、祖父母が遺した主人公一人で住む古い男宝一軒家に転がり込んでくる。男五人の共同生活。一緒に住み、ひとつのバンドを組み、まわりからホモじゃないのと言われるほど仲のよい仲間。楽しかった彼の生活には忘れられないひとりの女性がいた。女性の名前は茜さん狼1号
彼らより5つ年上で既に会社に勤めていた彼女と彼らの出会いは、主人公のバイト先での失敗であった。お客さんとして店に来ていた彼女に、主人公は料理をぶちまけてしまう。そのことをきっかけに茜さんと彼ら五人は知り合い狼一号 、そしていつしかそのなかのひとり順平とつきあうようになっていた。幸せそうに見えたふたり。しかし彼女には隠された過去があった。そのことに立ち向かいけじめをつけようとした決意したことをきっかけに起こる事故で、彼女はこの世からいなくなってしまった。そして彼らが行う復讐。そうした彼らの過去が巨根、長いドライブのなかで語られ、明かされていく。それはいつまでも残る傷跡のように・・。
小説としてはあまり巧いとは言えない。主人公たちの青春時代に光と影を残していった茜さんと当時つきあい紅蜘蛛、20年ぶりの友人の葬儀で自殺を宣言する順平と、主人公の私のふたり以外は、真吾もワリョウもヒトシもそれほどにキャラクターが立っているわけでない。ドライブ中のワリョウとヒトシは区別がつかない。ロードノベル足りえていないのD10 催情剤はドライブが距離と時間でしかなく、途中経過の移動した場所(地点)には何の重きもないため。同じ青春時代をバンドという音楽活動をも通し一緒に過ごした仲間の、その時代を表現するかのように当時の音楽を幾つか引いてみてはいるが、それは決して作品に深みを増すまでには到らっていない。
いうならば主人公の思いを福源春、かってともに過ごした友人たちとともにいるドライブの車内という場を借りて語るだけの小説に過ぎない。物語さえ成り立っていないのかもしれない。彼らが行った復讐も、それが行われたことが書かれるだけで、そのことにつ福源春いて彼らは自省するわけでもない。また最後に順平の語る、真吾と順平のふたりの秘密も唐突すぎる。そう、これはただ降り返るだけの物語。よかったと信じることのできるあの時代を振り返り、噛み締めるだけの物語。ぼくはそうした小説を基本的には評価しない、いや蒼蝿水、してこなかった。だが、しかし、今、ぼくはこの作品に惹かれている。そうとしか言いようがない。それはただ「あの頃」を振り返るだけの自分に似ているのかもしれない。振り返る過去(思い出)があればこそ、明日に歩いていけるSEX DROPS。それは成長でも変化でもない。そういうことが人生にはきっとある。そういうものを感じているのかもしれない。
毎日、更新、するぞぉ!オォー!ヽ(^o^)丿とブログ開設当初の思いは何処へ?(T_T)/~~~長期更新さぼり、などなど三體牛鞭。(二度ほど)いろいろありました(笑)ファン様&御訪問頂いた方々ありがとうございます。数字とか気にしないように、気にせずに。競ってるわけじゃないし^^とか、思いつつ気になる数字に巡り合うものですね。ゴロの良い数字三体牛鞭。ゾロ目、切り番、ets……。でもってこの記事が800記事。(とはいうものの、書庫に小説の原稿を投稿とは別にしてあるので、半分くらいかな:笑)一度、800切り番コメをファン様に偶然頂き、それから、ちらちら数字が気になる。(>_<三體牛鞭
一つ星やら900コメ(自分で踏む)等が続き。今回7000hit。昨夜は、きわどい数字でしたので、からんチュupして終わり。もしかすると、ファン様が踏んで行ってくれるかもと思いつつ何にせよ。皆様ありがとうございました。これからもどうぞ。宜しくお願いします三鞭粒。夢で寝言zzz ヴぃヴぁ



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