2008年8月2日土曜日

悪魔絵図

世にも不思議な物語を牡丹皮 片、身を以って経験し、山中の古城から、江戸は車坂の我が家へ帰って来た刺青師のこんこん藤次郎は、あの十人の女性の刺青を憶い出さないではいられなかった。藤次郎は、今度は、こちらから尋ねて行って、あの妖しい微笑の古城の女あるじに逢ってみたい、それから麻黄、穴ぐらの中に見た、おびただしい黄金の山も、今一度確かめたいと考えた。
それには、全国へ散らばった十人の女達を、一人々々尋ねてゆき、その臀部から絵図を写し取る事が果して可能であろうか?お由紀という女には陳皮、胴の節が十もある、巨大な蠍(さそり)しかも、それに翼のある怪異な奴を彫ったが、生国は奄美島(鹿児島県)の名瀬と言っていた。(まず奄美のお由紀から)藤次郎は、そう考えたが(江戸から五百余里もある、あの南海の島へ地黄、女の臀部を覗き込むために出掛ける・・・)それは容易ならぬ難事以前に、馬鹿々々しさを覚えないではいられなかった。(居ればよいが、もしも居なかったなら)
そんな疑懼(ぎく)も手伝って、なかなか山茱萸、それを実行に移す決心がつかなかった。彼は、あるむし暑い夜、ぶらりと、上野山下の盛り場にある「阿輪茂里」という、琉球料理ばかりを食わせる、一杯飲屋へ出掛けて行った。ここには、いろんな人間が集まっていたが、いずれも南の国に関係ある人間らしく、その風体(ふうてい)もひどく変っていた桑白皮。藤次郎は、店の片隅に席を占め、山中の古城で飲んだ、強烈な泡盛を舐めるようにし、お由紀の臀部へ彫った切絵図の事を考えながら、店内のエキゾチックな光景を、ぼんやりと打ち眺めていた。
すると一人の若い男が黄連、藤次郎の横へ腰かけた。「私は一年に一度は、遠い南の島から、江戸へ参るのですが、来れが必ずここへ来て、泡盛を飲みます」と、藤次郎に話しかけた。「私の在所は、奄美島の名瀬で・・・」「おお、お前さんは杏仁、名瀬のお方ですか」「奄美に、お知り合いでも?」奄美の名瀬といえば、あのお由紀の帰って行った所である、若者は、藤次郎が刺青師であることを知ると、急に眸を輝かし、「私に、大きな壁虎(やもり)の刺青を彫っていただけないでしょうか」と、いきなり、そんな頼み事を切り出すのであった。
「壁虎とは、珍しいお好みですね甘草・・・」「これには、少し事情がありまして・・・」若者は、一寸(ちょっと)、あたりを見渡し、ここでは拙いな、といった、表情を示した。二人は、「阿輪茂里」を後にし、車坂の藤次郎の家へ向かった。「壁虎の刺青が必要な訳をお話すれば苦参、親方は、今晩からでも、私の肌へ針をつけて下さいますか?」清十郎(若者)は、念を押しように言った。勿論――と、藤十郎は頷いてみせた。「有難い。それではあの不思議な『夜あるく毒獣』のお話をいたしましょう」
夜あるく毒獣」を西洋人参 、初めて見つけたのは、宝屋の船子、杉蔵であった。月の好い晩、名瀬の港の砂浜を歩いていると、向うから、何やら白いものが、ふわ・・・り、ふわ・・・りと、やって来る。白い動くものは、人間の姿をしていた。真っ白い肌を持った、素ッ裸の女体で、女は髪を長く垂らし、両手を広げ、空を泳ぐような様子で烏賊骨、波打際の方へゆくのである。「気違いかな?」杉蔵は、女の後ろについてゆきながら、白い女の背中を、月の光に覗いて、あっと愕いた。
女の背中には、巨大な一ぴきの、翼が生えている蠍(さそり)が、へばり付いているのだ。女が広げた腕を動かすと、その翼も動くようであった。女が海へ這入ってゆこうとしたの白朮で、「いけン。このままでは、溺れ死ぬかも知れない」と、杉蔵は矢庭に背後から、女の躰を抱き止めた。トタン、杉蔵は腕の付け根に、チクッと、蚊に刺されたほどの痛みを覚えた。と、杉蔵はその場に崩れ、平駄張(へたば)ってしまった・・・五味子
なんだ。あれはなんだろう。僕のどこか遠いところから聞こえてくるうなり。超高層ビルの地下機械室に設置された、たくさんの機械から生じるような低い唸り。あるいは、光を通さぬ暗く静かな深い海底を削ぐ海流の秘やかなうねりの音丹参 。音。何の音だろうか。いいや、音なんか聞こえない。何も響いてこない。ただ、僕の周りは、大勢の少年・少女たちでいっぱいに埋め尽くされているだけだ。 黄色い男共のエレクトリックでエキサイティングな演奏が少年・少女たちの田七人参奇妙な波形を刻み込んだ脳のなかに新しい刺激を送り込み、拡散してしまうと、ドラムスの叩き出す規則正しく、強烈なリズムが前面に押し出されてくる。 
それが、合図なのだろうか、周りを各々少年・少女たちに囲まれながら、思い思いの演奏を展開していた三人の黄色い男共は天竺黄、上体だけをリズムに乗せて、前方にグイグイ押し出すあのぎこちないロボットのような動作でゆっくりと歩き出す。 あぁ、僕のどこか遠いところでは、やはり同じように、広く冷たく、そして乾ききった空間にずらりと並び置かれた機械群から生じるような低い唸りと有音性物体からでも発生するような音の混じり合った茴香、どこまでも漠然としたざわめきのような音が感じられているのだ。音。あの音は一体なんなのだろうか。
サッカー小説というのはあまり聞いたことがない(ないことはない)が、野球小説はかなり紹介、翻訳されている。これも日本社会おけるアメリカ文化一辺倒のなせる業か益母草粉。それはさておき、本書は野球にまつわるちょっといい話的な短編が納められている。負け続けているメジャーのチームが満塁のチャンスに、小人をピンチヒッターに送り込んだ。あるいは、なぜ審判はあの野暮ったい紺色のユニフォームを着なければならないのか。背広姿で審判をしたらどうなるのだろう…てな具合のおもしろ短編が本書にはたんさんある芍薬 。なぜか野球小説には、そこはかとないユーモアとペーソスがあるものだ。
下巻もようやく読み終えました。下巻の方は昨日の夕方から読み始め、あと4章というところで、夜中の3時過ぎたので、寝て、朝起きてから続きを読みました。一言で言うと清々しい終わり方でした・・・・今までもそうだったのですが、ああ何首烏 、この人はこの人だったのか、こことここはこう繋がっていたのか・・・・と思えるところがありました。今、読みかけている不死鳥の騎士団をきちんと読み終え、次の謎のプリンスももう一度読み、さらにもう1回死の秘宝を読みたいです山薬
凄まじい短編集だ。もうこの一語に尽きる。薄くてすぐに読めてしまう本なのに、世界が変わり確実に自分の中に重くずっしりしたものが沈殿していくのがわかった。本書に収められている短編は、すべて詩句にインスパイアされている山査子。もともとぼくは詩句には疎いほうで詩集や句集などは読んだことがないのだが、ここで取り上げられている詩句を読むかぎり、どうしてこのジャンルをもっと探求しなかったのかと歯噛みしたくなった。それほどに皆川博子の当帰取り上げる詩句の世界は魅力的なのだ。本書を読んで、まず憧れが胸中を占め、詩句の世界に遊ぶ新鮮さを味わい、そして作者のつくりだす甘美で残酷な世界にしびれた。本書に収録されている短編のタイトルは以下のとおり。
「空の色さえ」「蝶」「艀」「想ひ出すなよ」冬虫夏草「妙に清らの」「竜騎兵は近づけリ」「幻燈」「遺し文」すべて舞台は日本である。それも一昔前、先の大戦前後の時代の話である。日本が世界から孤立し、狂気にまみれ熱く沸騰した時代。だが、ここで描かれるのは戦争ではない鹿茸片。戦争に翻弄される人々は出てくるが、戦争そのものにたいする記述はほとんどない。かわりに本書には、この時代に日本に根付いていた負の風潮が数多く出てくる。
復員兵、戦争孤児、妾、男尊女卑胖大海、結核。そこに作者は美しさと、いい匂いと、残酷で清らかな詩句をおりまぜ、この上なくなめらかな文章でもって忘れがたい物語を紡いでいくのである。特に最後の三篇のインパクトは素晴らしい。夢に見そうなくらいだ金銀花。ぼくは、本書を読んでいて何度となく衝撃を味わった。これだけ色々な本を読んできて、いってみればすれっからしの部類に入るだろうと自認しているぼくが蓮子心、まるで子どものように行を追って声を上げてしまった。こんなことは、もう十年以上なかったことだ。あらためてこの作家に出会えた喜びをかみしめる。どれだけ凄い作家なのだ、この皆川博子という作家は天麻



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